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日下部・グリフィス基金メルマガ会員の皆さま
 前回のメルマガ(7月)では、そのちょうど150年前(1869年7月)にグリ
			フィスがラトガース大学を卒業したことをご紹介しました。では150年前の今(1
			869年9月)はどうしていたでしょうか。
			 その時の日記や書簡は残っていないようですが、実はグリフィスはその2年後の
			1871年9月17日に、すでに来ていた福井からお姉さんのマギー宛に書いた手紙
			の中で「2年前」のことを回想している記述があります。9月17日というのはグリ
			フィスの誕生日でした。
 
 
			
			
 福井大学図書館のデジタルコレクションからその手紙の冒頭の画像を添付します
			(福井のことはFukuwiと書いています)。そこではグリフィス曰く、「2年前の今日
			はストラスブールの穹稜アーチの下に座ったり、ハイデルベルグ城の有名な廃墟の下
			をぶらついたりした。」
			 彼は、大学を卒業した後の夏休みにお姉さんとヨーロッパを旅行したのでした。3
			ヶ月間もの長い旅行だったとのことですが、26歳の誕生日に見た、ストラスブール
			の「穹稜アーチ」(Groined arches:これはおそらく同地の有名な大聖堂の天井のこ
			とと思われます)と、やはり有名なハイデルベルグ城跡のことが特に印象に残ったの
			だと思います。因みにストラスブールを中心とするアルザス地方は当時まだフランス
			領でしたが、1870-71年の普仏戦争を経て、グリフィスがこの回想をした2年
			後にはドイツ帝国領に変わってしまっていました。
			  実は私は先月フランスとドイツに滞在していまして、奇しくもストラスブールの
			大聖堂とハイデルベルグ城跡双方を訪ねる機会がありました。150年前にグリフィ
			スが見たであろうその2箇所を撮ってきた写真を添付します。
 
 
			
			
 なお、件の手紙の中では、グリフィスはその1年前の誕生日のことにも言及してい
			ます。しかし、簡単に「それは飛ばします」と言っているだけです。これはどういう
			ことでしょうか。何か含みがあるようです。
			 それについては、150年前のことを辿るこのメルマガのシリーズとしては来年の
			今頃に取り上げるのが良いのですが、先取りしてちょっとご紹介しますと。。。その
			頃(1870年9月)にちょうど福井藩からラトガース大学に理化学教師を派遣して
			ほしいとの招聘があり、グリフィスに白羽の矢が立ちました。グリフィスは一旦断り
			ますが、周りの強い勧めがあり、悩んだ末に日本行きを決断します。どうして悩んだ
			かというと、日本に行くことはいわば神から授かった使命とグリフィスは重く受け止
			めた一方で、すでにニューヨークの教会での牧師としての仕事と生活に踏み出そうと
			していて、それを前提に将来を誓い合ったエレン・ジョンソンという婚約者がいまし
			た。日本に行くということは彼女との別れを意味していたのです。その失恋の経験を
			お姉さんのマギーは誰よりも良く知っていました。だから、一年後のこの手紙の中で
			「それは飛ばします」と書いた理由は、マギーにはすぐに分かった訳です。
理事長
			細谷龍平
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